デ・キリコについて

ジョルジョ・デ・キリコ、1932年
© Man Ray 2015 Trust / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo 2023, image : Telimage, Paris

ジョルジョ・デ・キリコ

Giorgio de Chirico 1888-1978

イタリア人の両親のもと、ギリシャのヴォロスで誕生。父の死後、母、弟とともにミュンヘンに移り、そこでフリードリヒ・ニーチェの哲学や、アルノルト・ベックリン、マックス・クリンガーらの作品に触れ、大きな影響を受けます。

1910年頃から、簡潔明瞭な構成で広場や室内を描きながらも、歪んだ遠近法や脈絡のないモティーフの配置、幻想的な雰囲気によって、日常の奥に潜む非日常を表した絵画を描き始めます。後に自ら「形而上絵画」と名付けた作品群は、詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールの目に留まり、彼を介してシュルレアリストをはじめとした前衛画家たちに知られるようになり、大きな影響を与えていきます。

1919年以降は伝統的な絵画へ興味を抱くようになり、古典的な主題や技法を用いた作品を手がけるようになります。そうして、1920年代半ば以降はシュルレアリストたちと険悪な関係になり、他の前衛的な芸術家や批評家に対しても厳しい態度をとるようになります。

一方で、過去に描いた「形而上絵画」の再制作や、「新形而上絵画」と呼ばれる新たな作品も生み出していきます。こうした過去作の再制作や引用は、ときに「贋作」として非難されましたが、ポップアートの旗手アンディ・ウォーホルは、複製や反復という概念を創作に取り入れたデ・キリコをポップアートの先駆けと見なして高く評価しました。

弟や最愛の妻といった自身の芸術の理解者が身近にいたデ・キリコは、世間の評価に左右されることなく、90歳で亡くなるまで己の才能を信じて精力的に創作を続け、絵画や彫刻、挿絵、舞台美術など幅広く、数多くの作品を残しています。

ジョルジョ・デ・キリコ
邸宅美術館

ローマのスペイン広場にあるジョルジョ・デ・キリコ邸宅美術館は、画家が晩年を過ごした住居兼アトリエでした。
幾度となく転居を繰り返していたデ・キリコですが、1947年、60歳の時にこの家にアトリエを構え、ここで妻であるイザベラ・ファーと晩年の30年を過ごし、亡くなる直前までアトリエで制作活動を行いました。1978年にデ・キリコが亡くなった後も、妻のイザベラは1990年までここで暮らしていました。彼女の遺言により、デ・キリコ没後20年にあたる1998年11月20日に邸宅美術館として一般公開されることとなりました。
ここでは、デ・キリコの絵画や彫刻などの作品が展示されている部屋や、生前の制作の様子をできる限り再現したアトリエなどを見ることができます。ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団のオフィスと図書室もこの建物の中に入っています。

◎公式サイト 
https://fondazionedechirico.org/en/house-museum/

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撮影:G. Schiavinotto
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